慣れない、あるいは知らないところに出かける時はできるだけ目的地の最寄り駅で誰かと待ち合わせることにしています。そうすることで、いろんなところへ行ける可能性が広がるからです。最近も大阪メトロの深江橋駅の地上に出たところで、ある人と待ち合わせていました。どの鉄道会社でも頼めば駅員なりヘルパーが乗り換えの誘導をしてくれます。実は行き慣れないところに行く時はこのサービスが非常にありがたいのです。
その日も、毎日利用する弁天町駅で、下車駅をヘルパーに告げて乗車しました。ところが深江橋で下車してみるとヘルパーがいません。「別のドア付近にいたのかな?であれば私の姿を見たら近づいてくるだろう」と思い、しばらくそこに佇んでいました。しかし誰かが近づいてくる気配はありません。そのうち、ホームには誰もいなくなってしまいました。通りがかりの人の手を借りることもできなくなり、「これは困ったな」と途方にくれたのは一瞬だけ。「いざとなれば、地上で待っているだろう相手に電話を掛けてホームまで来てもらえばいいや」と考えました。そう思いつくと冷静さを取り戻し、名案が浮かびました。そう!間もなくやって来るはずの次の電車を待って、降りてきた人の足音に着いて行けばよいのです。この駅は他の線と接続してなくて、降りた人は皆改札に行くはずなのです。やがて電車がやってきて、数名が下車、足音は皆同じ方向に流れています。杖を使いながら付いて行くと点字ブロックがあり、それを伝って行くと登り階段にぶつかりました。それを上がり始めると、途中で後ろから「改札まで一緒に行きましょうか?」という声が聞こえてきました。内心ラッキー!と、その人の手を借りて改札へ。そこにいた駅員にヘルパーがいなかったことを伝え、地上に出るエレベーターまで案内してもらいました。その駅員は「弁天町から連絡は来てないんですよねぇ」と言いながら、「いやな思いをさせてすみません」と何度も謝られて、私の方が恐縮してしまいました。そのことは弁天町駅にも連絡されたようで翌日駅に行くと、「連絡し忘れたのは私なんです」とそこでも平身低頭で謝られ、絵本のタイトルではないけれど「いいからいいから」と思ってしまったのでした。というのも私の心の中には駅で途方にくれたことよりもよいことを思いついたことがうれしくて、その満足感に包まれていたのですから。何事も最悪の想定をした上で行動を起こすようにしていれば、落ち着いて対応できるものです。
世の中でよく「想定外」という言葉が使われますが、あらゆる可能性を想像し、「想定内」にしておけば、日々の生活の中で、不安に駆られることはそう多くは無いと私は思っているのです。これも40年余り活動に取り組む中で見つけた生き方の一つと言ってもよいでしょう。
岩田美津子『ふれあい文庫だより』74号より